たろちゃんの痙攣重積型急性脳症_経過日記

痙攣重積型(二相性)急性脳症を罹患した娘の経過記録

【~6病日目】その日

 ◆3病日目~4病日目
妻が入院の付き添いに行きました。
私は普段通り仕事です。


この後、あんな事になるとは全く考えていなく、「退院までに家の掃除や模様替えをガッツリやってお迎えしよう」
そんな風に考えて、会社から帰ったらひたすら掃除する毎日でした。
新型コロナウイルスの影響で面会は出来ませんでした)

 

1日1回ビデオ通話をするのですが、どうもたろちゃんの反応が悪かったのを覚えています。
読んでもこっちを向いてくれなかったり、いつもは笑いかけてくれるのに真顔だったり。
搬送時に打った強い鎮静剤のせいだろうと考えてはいたものの、どこか少し違和感がありました。
しかし、ご飯もしっかり食べますし、画面越しに妻にはニッコリ笑っていましたし、ベッドの中を歩き回っていて元気そうでした。
元に戻ってくれて深く安堵したのを覚えています。

 

◆5病日目
突発性発疹らしき発疹が全身に出ましたが、本人は元気そうでした。

 

◆6病日目(Late Seizure当日)

この日、私は仕事に行っていました。
午前10時頃、付き添い中の妻から連絡がありました。

 

「また痙攣を起こした」

 

聞いた瞬間は、「え?どういうこと?」という感じで、何が起こったのか分かりませんでした。
救急車で運ばれた時に二度目の痙攣についての説明を受けていたけど、それが発症した結果どうなるのかは全く知らない状態でした。

 

以下は後に妻から聞いた話になります。

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たろちゃんはこの日も朝から元気で、起きてからすぐに、「まんまー!(ご飯)」と声を上げ、もくもくと朝食を完食したようです。
その後少し経ってから、おっぱいを要求し、ちゅっちゅしてそのまま眠りに落ちそうになりました。
妻も慢性的な寝不足でしたので、二人でウトウトしていたそうです。
その最中、妻に違和感が走り、その数秒後に痙攣を起こしたとの事でした。

 

たろちゃんの痙攣を見て、すぐにナースコールしましたが、ナースは状況を何も理解しておらず、「あーそうなんですか、痙攣ですか」というのんびりとした反応。
妻は医療関係者という事もあり、この痙攣が何を意味するかある程度把握していました。

 

「いいから早く先生を呼んでください」

 

しばらくしてから先生達が集まりだし、その場でMTGが始まったそうです。
この日を振り返って、運が良かったと思うのは、①痙攣直後に病院にいた事、②たまたま先生が沢山勤務している日で、早急な処置をしてくださったことです。
(ただいかんせん、うちはド田舎なので、最善の処置だったかは何とも言えませんが…)
振り返ると、妻の医療知識と咄嗟の判断に、ただただ感謝するしかありません。


痙攣の後、すぐに鎮静剤が投与され、MRIを実施(MRIの結果は別の記事であげていますので、ご興味のある方はそちらを御覧ください)。
結果、運動に関する部位に炎症反応有。血流低下箇所複数有との事で、痙攣重積型の急性脳症の疑いが強い旨、主治医より説明を受けました。
処置としては、3日間相当強い鎮静剤を投与、ステロイドパルス療法の実施、ビタミン剤の投与を行うとの事でした。
また、鎮静剤の副作用により舌根沈下を起こすため、呼吸管理をICUで行うとの事でした。
コロナの影響もあり、ICUに入ることは出来ません。
妻は一時帰宅し、ICUから転移するタイミングで再付き添いという形になりました。
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私はと言えば、どのみち病院に入る事が出来ない事を早期に妻に知らされていたため、仕事場で悶々としながら過ごす事となりました。
もう仕事どころではなく、急性脳症に関する文献を読み漁っていましたが、調べれば調べるほど現実感はなくなっていき、思考力も低下していくのを感じていました。

 

ちょうど私の仕事の定時に合わせて、妻が先生の説明を終えて病院から出てくるところだったので、迎えに行きました。
妻はものすごく動揺していましたが、自分のなすべきことをしっかりしてくれました。
私が妻の立場だったら、咄嗟の判断は絶対に出来なかったと思います。感謝しかありません。
私は現実感を無くしており涙は出てきませんでしたが、妻はある程度理解しているため、「辛そうなのを何とか堪えている」、そんな状態でした。
妻のその状態を見て、「ああやっぱりヤバいんだな」という事がよく分かりました。
たろちゃんの様子を見られないまま、家路につきました。

 

家に帰り、久しぶりに二人きりで寝る事となりました。
たろちゃんの明るさにどれだけ救われていたのか痛感し、初めて悲しい気持ちがこみ上げてきました。

 

夜布団に入った後、頭の中がぐちゃぐちゃとしていたのだけははっきりと覚えていますが、結果として寝れたのか寝れなかったのか、全く覚えていません。